2016年1月、 「確定報酬:約21万円」を達成しました。 僕は今、アフィリエイトをメインに行っています。 簡単に言うと、自分で作ったウェブサイトに広告を載せて、 その広告収入を得るという仕事です。 2015年3月末に会社を辞め、 10ヶ月がむしゃらに取り組んできました。 会社員時代の毎月の平均手取りは約20万円だったので、 10ヶ月で会社員時代の月収を超えたことになります。 2月の報酬も順調なので、 1月以上に稼げることはほぼ確定です。 起業してから辛かった毎日 起業してからは何度も何度も、 「辛い」 「逃げたい」 この二つが頭をよぎり、布団から出られない時もありました。 どれだけ記事を書いても、どれだけサイトを作っても、 思うように結果が出ない。 報酬画面は毎日、「0」を並べる。 知り合いに顔を合わせるのが怖い、友達に会うのもつらい。 そんな毎日でした。 仕事に集中するため、人に会わないため、あいりん地区にこもった 初めは地元にいましたが、 実家では衣食住が満たされて安心してしまいます。 そのため、日本で唯一のスラム街と言われる、 あいりん地区にこもって仕事をしました。 その時は仕事だけに集中して一刻も早く結果を出すため、 LINEの名前を「今は連絡とれません」みたいにし、 友達リストをほぼ全部消して集中しました。 めちゃくちゃ寂しかったですが、 早く結果を出すことだけを考えて、サイトを作り続けました。 未来への不安、空腹、「0」を刻み続ける報酬画面、 カフェでのカップルのイチャイチャなど(笑)が辛かったことを覚えています。 その後は一度タイに行ってリフレッシュもしましたが、 10万円前後の報酬をさまよっている状況はとても辛く、 1月頭には一度本気でやめたいと感じたこともありました。 2015年1月、報酬が爆発する 辛いばかりの毎日でしたが、 2015年12月末からサイトに施した修正がとうとうユーザー心理をつかみ、…
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2016年最悪の幕開けも、最高の今に変えられる【Bliss life】
遅くなりましたが、 あけましておめでとうございます。 昨年2015年は僕の人生が大きく変わった年でした。 ブログからの反響も大きく、 フェイスブックでは約150名の方からの友達申請やフォローをしていただき、 多くのメッセージもいただきました。 ありがとうございます。 あいりん地区にこもったり、 収益が出ずに辛い思いをしてきましたが、 2015年は結果的にすごく良い年でした。 そうして少し浮かれた気分で始まった2016年でしたが、 そううまくは始まってくれませんでした。 2016年、辛い幕開け 人間関係でミスをし、さらに大事なサイトのデータが飛ぶ・・ 新年始まったとたんに、人間関係で大きなミスをしました。 その大きな失敗をした日、落ち込んで作業場に帰り、 パソコンのデータ整理をしていたのですが、 誤ってサイトデータを消してしまい、 10サイト近くのデータが飛びました。 「悪いことは続くって言うけど、これは辛すぎる・・・」と思いながら、 朝5時までかけてメインサイトを直しました。 サイトの修正はとてもシンプルなのですが、 記事数が多かったので大変でした。 こんな幕開けで、さらに1月頭の収益もあまりよくなく、 新年早々に落ち込んでいました。 渋谷に約10日間滞在し、収益が上がる 落ち込んでいた僕ですが、 1月第一週から渋谷に打ち合わせに行っていました。 すぐに帰れる予定だったのですが、 急きょ変更となり、余分に8日ほど滞在することに。 何も持ってきていなかったですし、 予定外の出費にかなり困りました。 ですが、この渋谷で滞在していた時にサイトに加えた修正から、 今どんどん収益が上がっています。 渋谷に滞在してストイックな気持ち、あいりん地区時代を思い出す 渋谷では、カプセルホテルに泊まっていました。…
「会社にとらわれず自由に生きたい、海外に行きたい」という思いだけで起業しました
「会社にとらわれず、自由に生きたい」 「海外に長期滞在して、語学学校に行ったり現地の人と交流したい」 僕はこのような思いから2015年3月末で会社を辞め、報酬0円のままパソコン1台で起業しました。 以前勤めていた職場は地元のとある大学で、僕はそこで営業と事務職をしていました。 営業の仕事は、高校生相手に大学の紹介をしたり将来の相談に乗るもので、元々大学時代のキャリアカウンセラーの先生に憧れて学生の相談に乗りたかったので、夢がかなっていました。 さらに、高校生も大学生も僕のことをしたってくれる人が多く、学生さんたちみんなが大好きでしたし、学生と関わっているときは本当に楽しかったです。そして、営業も特にノルマがあるわけでもありませんでした。 ただ、学生と関われる時間は少なく、そのほとんどは事務作業でした。 事務職は世間でも人気で、僕自身「いい仕事につけた、これで安定して暮らせる」と思っていましたし、母も僕の仕事を喜んでくれていました。 しかし、毎日同じ時間に同じ職場に通い、似たような事務作業を繰り返し、残業で遅くまで残り、人間関係で疲れるたびに、「俺はこのままでいいのか?」と本気で悩むようになってしまいました。 「このまま平凡に朝から晩まで会社に使われて終わるのか?」 「高校時代から夢だった海外生活はできなくていいのか?」 いつしか、こんな思いが僕の中から消えなくなりました。 「自由に生きる」と決めた、僕の人生が変わった瞬間 そうして毎日悩み、昔の夢だった薬剤師になるべくもう一度受験をしようか、医者を目指そうか・・・ 色々考えてたくさんの本を読みましたが、「どうなったとしても、結局企業や組織にとらわれる意味では一緒」だと思い、なかなか一歩を踏み出せませんでした。 また、大学事務の仕事を辞めるリスクをとってまで目指す意味は見出せませんでした。 しかし色々な本を読んでいく中で、「パソコン1台で自由に世界を旅する」という生き方があると知り、そこから僕の人生は大きく変わりました。 数日中に仕事を辞める算段を整え、部長に話をしました。 優しくて暖かくていつも僕のことを考えてくれた部長だったので、退職の話は辛かったです。 その他の友達や知り合いに相談した時は、 「本当にそんな生き方叶えられるの?」 「それをしてどうなるの?」 「3年は会社を辞めちゃだめだよ」 みんな心配して色々なアドバイスや意見をくれました。 僕のことを考えていってくれるみんなの言葉はすごく嬉しかったです。 母にもずっと迷惑をかけ続けていて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 でも、それでも 「人生は有限、始めるなら少しでも早い方が良い」 「このまま年を取っていくのは嫌」 という思いはもう止められず、部長の反対を押し切って仕事を辞めました。 今は後悔は全くありません。 そして2015年4月、僕のパソコン1台での起業人生が始まりました。 起業後は、毎日パソコンと格闘する日々 起業後は、地元で一日中、図書館やカフェでパソコンと向き合う日々でした。 特に最初の2か月は報酬がほぼゼロに等しく、先の見えないトンネルをもがきながら進んでいる感覚で、非常に辛かったことを覚えています。 世間体的にあまり周りには相談できないし、貯金を切り崩して生活しているのも辛かったです。 友達の誘いを断り、服を買うことをやめ、ライブに行くことをやめ、彼女と上手く行かなくなり振られ・・・・たくさんのものを犠牲にして仕事だけに集中しました。 大阪あいりん地区で自分を追い込む 途中、自分にさらに追い込みをかけるべく大阪あいりん地区の安宿に住みつき、毎日パソコンだけと向き合っていたこともありました。あいりん地区は、日本唯一のスラム街などとも言われ、大阪に昔から住んでいる人でも近寄らない所です。 そこでは、1泊900円~2000円ほどの宿がたくさんあります。 …
